第3回


偽刻の濡れ衣を着せられそうになった馮承素墓誌

(2018.3.26)



  世の中、自分の知識や経験から外れたコトやモノに出くわしたとき、それを素直に受け入れられず、何かとイチャモンを付けて否定したくなるものである。ただ、やってはいけないことがある。それは、想像や仮説だけで、間違っていると決めつける行為である。相手に対して失礼ということはもちろんのこと、もし、自分の方が間違っていた時に、相手に向けた刃がそのまま自分に突き刺さってしまうからである。「それは間違いだ」と断定する行為は、自分が完全に正しく、相手が完全に間違っている、ということであり、もし、6割くらいしか詰められていないのであれば、「間違っているかもしれない」とか、「間違っている可能性も十分にある」といった表現にとどめ、予断を持たないことが大切である。

  さて、前置きが長くなったが、8年ほど前に、私も愛読している「墨」という雑誌のコラムに、「偽刻(こしらえもの)・馮承素墓誌」というコラムが掲載された。今となっては、しっかりと社会権を得ている「馮承素墓誌」も、出土して間もないこの頃は、その真偽に疑問を持つ人が多くいたのも事実である。ただ、正面切って、世間に向かい「偽刻だ」と結論付けたのは、そのコラムの執筆者くらいではないだろうか。タイトル自体が、「偽刻(こしらえもの)・馮承素墓誌」というセンセーショナルなものであるうえ、文中にも、「結論から言えば、この墓誌は偽刻、すなわちこしらえ物だった」と、はっきりと言い切っている。実に明快である。私は、常々、「ロジカルな文章の条件とは、結論が明確であること、そして、その結論に至る理由がしっかりしていること」と教わってきたが、とりあえず前者(結論が明確)に関しては、このコラムの文章はそれを完璧に満たしているといえる。それでは、後者(結論に至る理由がしっかりしている)についてはどうだろうか。


(補足)馮承素は、蘭亭序の八中第三本「神龍半印本」を臨模したことで有名。


馮承素墓誌(拓本)


  御仁は、「偽刻だ」と断定した理由として、3つの論拠を挙げている。原文どおりに紹介すると、1つ目は、「疑点・その@身分不相応の墓誌」、2つ目は、「疑点・そのA蓋の篆書文字の稚拙さ」、3つ目は、「疑点・そのB近年の発掘事情から」と記されている。偽刻と断定している割には「疑点」でいいのかとツッコミたくなるのを抑えつつ(「疑点」にとどまっているのであれば、偽刻と「断定」できないのでは・・・)、それぞれの内容をみていくと、紙面の制約からなのか、論拠として挙げるにはどうかと言いたくなるような客観性に乏しいものに終始している。なるほど、これでは「疑点」という表現にとどめざるを得ないはずだ。もしかすると、編集担当者が「『疑点』くらいの表現にしておこう」と書き改めた可能性もあるが、想像の域を脱しない。

  1つ目の「身分不相応の墓誌」という主張は、「馮承素の中書主書という役職では墓誌の制作を許されないのではないか」というものである。中書省の主書という役職は「従七品上」であるが、それ以下の人物の墓誌はいくらでもある。名の知れぬ下級役人でも墓誌を作っている例はある訳であって、馮承素が墓誌を作るのは分不相応とまでは言えないのではないか。なお、文中には、「弘文館において蘭亭序摸本の制作を行った功績が認められたとしても、その文官としての品級は従九品下にしか成り得ず、これまた高官クラスの墓誌制作を許される身分では無かったのである」とあるが、これは文意自体が理解不能であり、論評すらできない。

  2つ目の「蓋の篆書文字の稚拙さ」については、御仁は唐代墓誌の蓋をどれだけ見てきたのだろうか。確かに、立派な字とは言えないが、膨大な数の唐代墓誌をみてきた立場からすれば、似たようなレベルの字の蓋はいくらでもあった。文中には、「およそ唐代における墓誌を通見しても、これほど劣る蓋銘例を知らないことも、墓誌の偽刻を証するものである」とあるが、「自分が知らないこと」が何よりの証拠だと主張されても困ってしまう。多くの事例をみてきた人が、「そんなことないですよ」と反論したら、水掛け論になってしまう。仮にこれがもし唐志研究の第一人者から言われれたのであれば、押し黙るしかないだろうが・・・。

馮承素墓誌(蓋)再掲

泰公墓誌(蓋)

李君墓誌(蓋)

裴使君墓誌(蓋)

李府君墓誌(蓋)


  3つ目の「近年の発掘事情から」という主張は、「近年、中国では文物に関する処罰が厳しくなっているため、発見されたらすぐに当局に報告がなされるはずであるが、この墓誌は個人が所有しており、あまりに不自然だ」というものでる。「本物であるならば、必ず当局への報告義務があり、それを怠ることは近年では許されない事なのである」と講釈されている。このくだりを読んで、現在の中国で出土している文物の実態があまりよく分かっていない方なのではないかと気づいた。実際には、発掘された墓誌銘の多くは民間で闇売買され、博物館入りするものはその一部に過ぎない。良いものは民間で売買されるため、博物館入りするものの多くは2級品が多いのが実情である。さらに付け加えるとすれば、この墓誌は、個人ではなく、大唐西市博物館が所有している。北京大学出版社の「大唐西市は宇物館蔵墓誌」にも掲載されているし、私自身、同博物館を訪れその所在を確認している。個人が所有しているというのはそもそも事実誤認である。

  コラムでは、こうした3つの「証拠」を、さらに力強い証言で補強している。すなわち、西安碑林博物館々長である趙力光氏に馮承素墓誌の真偽について問い合わせたとのことである。趙力光氏は書道や拓本の分野では権威的存在であり(既に故人であるが)、その証言ということであれば非常に重みがある。御仁が「書き添えておこう」と誇らしげに趙力光氏の言葉を紹介するのもよく分かる。趙力光氏の返答は、「その様な発見報告は受けていない。また、馮承素墓誌の存在は歴史的にも考えられない」というものであった、とのことである。これに関しては、二人がどういう関係にあるかは知らないが、あくまでも二人の間でのやり取りであるため、第三者がとやかく言えるものではない。

  ただ、1つだけ、どうしても腑に落ちないことがある。2017年10月29日から、西安碑林博物館内で、西安碑林930年を記念して、「唐代詩人墓誌特展」が盛大に開催されており、そこに軸装された「馮承素墓誌」の原拓が堂々と展示されているのだ。先日、西安碑林を半年振りに訪ねた際、同展を見学してきたが、馮承素墓誌が展示されているのをみて、「あれっ?趙力光館長は、そんなものないと言ってなかったっけ?」と一瞬思ったが、よく考えてみると、同氏は「その様な発見報告は受けていない」としか言っておらず、「あり得ない」などと否定はしていない。そもそも、碑林博物館職員が発掘した訳ではないので、趙力光館長に「発見しました」と報告するような類の話ではない。「発見報告を受けていない」とおっしゃったのは、当然のことだろう。それでは、「馮承素墓誌の存在は歴史的にも考えられない」という同氏の発言はどう捉えるべきであろうか。ここからは想像でしかないが、自分に関係のない墓誌について尋ねられ、「そんなこと、わしは聞いてないから知る訳ないよ。少なくとも書道史上でもそういう事実は承知していない」くらいのニュアンスで返されたのではないか。

 ともあれ、その西安碑林博物館が、自らが偽刻と断定する墓誌銘を堂々と展示する訳はない。少なくとも同博物館では、馮承素墓誌は本物と判断しているということだろう。原石を収蔵・展示している大唐西市博物館も然りである。



 8年前と今では、情報の蓄積も全く状況が違うため、このコラムの内容を頭ごなしに否定するのはフェアではないし、大唐西市博物館や西安碑林博物館がこの墓誌を堂々と展示するようになった今でも、絶対に100%偽刻ではない、とまでは言い切れない。ただ、出土当初は偽刻の疑いがあった墓誌が、時が経つ中で新しい事実が出てくる中で情報がリバイスされ、偽刻の疑惑を晴らしていく現状をみていると、つくづく冒頭に書いたように、想像や仮説だけで物事を決めつけてしまうと痛い目に遭うということはよく分かった。


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