運営管理者からのご挨拶



 この度は、「至宝 中国碑刻拓本」をご覧
いただき、誠にありがとうございます。


 当サイトは2007年に開設し、12年が経と
うとしています。当初は、備忘録のような
形で、調べごとをするときに自分用のデー
タベースとして細々と始めたものでした
が、最近では月々のアクセス数が4桁に
乗るようになるなど、様々な方にご覧いた
だけるサイトに成長しました。海外からも
アクセスがあります。拓本に関心のある
方がたくさんいらっしゃることの証左でもあ
り、嬉しい限りです。


 現在、「建心コレクション」として収蔵して
いる拓本の数は400〜500に上ります。も
ちろん、博物館や一部の大学には到底及
びません。ですが、素人の個人としては、
おそらくは国内トップクラスではなかろうか
と思います。拓本の魅力に取りつかれた
変人なのかもしれません。


 書家や研究者まで含めると、上には上
がいるもので、その最高峰は
伊藤滋先生
(木鶏室)
ではなかろうかと思います。中
国でもその名は広く知られているようで
す。芸術新聞社の「墨」という雑誌をみて
も、掲載されている拓本の多くに「木鶏室
蔵」というクレジットが入っています。まさ
に雲上人という感じでしょうか。
 他方、私のように素人でありながら貴重
な拓本を数多く収集したことで知られるの
が、
岡村商石(1910〜1991年、室号:師古
)氏です。岡村氏は、昭和10年に関西信
託銀行(三和銀行の前身)に入社し、東京
勤務となった昭和13〜18年に多くの拓本
を収集しました。そして、その多くを昭和49
年に大阪市立美術館に一括譲渡しまし
た。それらは現在、「
師古斎コレクション」と
して大阪市立美術館の重要な収蔵品の1
つとなっています。岡村氏は、西宮市に所
有していた貸家を売却してまで、「天発神
讖碑」を購入したというエピソードも残され
ていますが、この話を聞くだけでも、書家
でもない銀行員の岡村氏がいかに拓本を
愛していたかがうかがわれます。私も立場
が似ているという点で共感できるところが
多く、第二の岡村商石になるのが密かな
私の夢でもあります。
 

中国では、文化財保護のため、碑石が博
物館のガラスケースに収められ、新たに
拓本を採ることができなくなっています。
その一方で、近年の急速な経済成長の中
で多くの資産家が生まれ、コレクションとし
て拓本を旺盛に購入するようになりまし
た。このように、供給が減る一方で、需要
は増加の一途を辿っており、その結果とし
て、拓本の価格は高騰しています。


 日本でも中国人がオークション等を通じ
て拓本を高値で爆買いし、神保町の古書
店に並ぶ拓本は殆どなくなってしまいまし
た。自分が持っている拓本の価値が上が
るのは嬉しいことではありますが、新たに
拓本を得るチャンスがどんどん減っている
のは悲しいことでもあります。

 このように、日本から中国に流れていく
拓本が増えている昨今ではありますが、
小生はその流れに抗うように中国から拓
本を入手しています。中国では、近年活発
化している都市開発の工事で、次々に昔
の碑石が出土しており、そうしたものを小
まめに拾い上げているのです。確かなこと
はわかりませんが、2010年以降に発見さ
れた墓誌銘は、それ以前に発見された墓
誌銘の数に匹敵する規模と言われていま
す。その中には、本当に素晴らしいものが
沢山あります。2000年以前のものですが、
1997年に河南省で出土した顔真卿が書丹
した「郭虚己墓誌銘」などは見惚れるよう
な美しさです。


 建心コレクションでは、「郭虚己墓誌銘」
のほかにも、隋代の
「宇文述墓誌銘」など
多くの新出土墓誌や造像碑、刻石を掲載
しています。また、唐代の
「井真成墓誌銘」
「馮承素墓誌銘」など、史料的価値の高
い墓誌銘も掲載しています。

 国内でこうした拓本を収蔵している人は
まだ殆どいないと思われます。博物館や
大学など学術機関を含めても然りです。
当サイトでは、こうした他ではなかなか見
ることができない拓本も交えつつ、幅広く
いろいろな拓本を紹介していきたいと思い
ます。

 それでは皆さん、「至宝 中国碑刻拓本」
の世界をお楽しみ下さい。



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